無から有を生む。これは素晴らしいことであり、また極めて大変なことでもある。
プレキャストコンクリートカーテンウォ−ル(以下PCcw)この単語が耳新しくなった今でこそ、
我々は比較的容易にPccwを理解することが可能になった。
そしてその「理解できる」と言うことを、私のような凡人はとかく
「それは自分に理解する能力があるから」
と思い込みがちである。
しかし、それは大きな思い間違いだったということに、今回PCcwの歴史を調べているうちに、
恥ずかしながら初めてそのことに気が付いた。
日本で最初にPCが外壁の化粧材として用いられてからすでに半世紀あまり。
実に太平洋戦争(古い!)よりも前の話である。当然、私にはその頃のことを想像することはできない。
その当時、全くなにもないところから現在のPCcwに至るまでの路線を引いてくださった
先輩諸氏、そしてその頃の色々なご苦労に対し、改めてここに感謝の意をささげる次第である。
しかし、『設計法の変遷』と言う内容で書く場合、やはり昔と今の技術の比較になってしまい、
結果的に昔の失敗談の披露会になってしまうのだが、それも仕方の無いことであろうと思って頂きたい。
今回はPCCA20周年記念出版なのであるが(注:この原稿が書かれたのは1994年)、
おそらく次回の記念出版の時にも、現在の失敗談がまた同じように書かれるのであろう。
更には「え?鉄筋コンクリートでそんな(無謀な)ことを?」などと言われるのかもしれない。
その時には、呆れ返られないように、また違う意味で書かれるように、我々はもっとがんばることが必要である。
本格的にPCcwが用いられ始めたのは、約30年ほど前のことである。
その頃、次々と専業メーカーが出てくる中、
外国から技術を導入し新たな工場を建設する会社が現れてきた。
今から25年前、1969年の春、私はその会社に入社したのである。
だからこの記事を書くに際して、それ以前のことはあまりよく知らない。
社内の諸先輩から見聞きしたことから推測するのみである。しかし大筋においては間違っていないと思う。
なお、人間の頭脳は素晴らしい。
視覚だけから瞬時に物事を判断する能力などは、たいしたものである。
しかし反面、記憶力は曖昧なようだ。現に私は当時の様子などかなり忘れてしまっている。
その当時で思い出すことというと、何故か失敗したことばかりである。
だから内容が偏る事になってしまうと思うが、それは私の偏見のせいばかりでなく、
頭脳の構造上の問題であると言うことをご理解いただきたい。