‘95筑波ナイター9h耐久レース
レポート
[準備編]
by 中塚現在の日本経済は低迷している。そんな中でOTXも例に洩れず
不況の波をもろにかぶり、難破船のごとく漂流しているのであった。だから
当然の事として 今年の9耐参戦はあきらめていたのであるが.....
5月末、東プロ(東京プロダクションカーレース)のオフィシャルとして大友さんが筑波に行った事から始まったのである。その日の夜、宿で飲みながら
安斎さんと大友さんとで 何故か知らない内に「M3でレースに出よう!」と言う事になったようである。但し
その時は ラッテストーン300kmレースなのであった。
次は
6月初旬の 伊豆モビリテイーパークのクロスカントリーでの話である。再び
安斎さんと大友さんが宿で一緒になった事から始まる。「ラッテストーンじゃなースポンサーも取れないし...せめて9耐だったら...9耐!9耐!」と安斎さん。ここでレースの話は急展開し
な、なんと ラッテストーンが9耐に化けてしまったのだ。
と言うわけで、7月になってからガラスを発注したり
スプリングをイギリスに発注したり ついでに軽量化を目論んで使えないリアスポイラーを発注したりと、ドタバタと準備を始めたのである。とりあえず、最少限度の予算で行うため
次の様に決めた。1 エンジン、トランスミッション、デフはオーバーホールの必要無しと判断。
2 フロントハブも多少の不安を残したが、現状で行く事とする。
3 アクリルはレギュレーションに合わせて ガラスに交換する。
4 サンルーフもレギュレーションに合わせてアルミ板に交換。
5 スプリングは 硬いものに交換。
6 コンピューターはリミッターをカットする。
7 カムシャフトは パワーアップを狙いGroup-Nの物に交換。
以上の他に
エントリーフィーその他で 予算は大体 \1,500,000-程度となりそうだ。ここから
安斎さんの得意技、口八丁でスポンサー探しが始まったのであった。結局、BSからタイヤ3セット、カストロールからオイル30リッター、PUMAからチームウエアー一式を手に入れたのである。
さすが安斎さん。
8月3日
(一年ぶりに...)再びM3が一年ぶりに目を覚ます時が来た。この日は2走行である。すでにリミッターをカットしたコンピューターに交換してある。
最初の走行は
M3のチェックを主に周回を重ねる。テストドライバーは中塚なのだが、何せ 1年ぶりに走るわけで、ドライバーの慣らし運転の方が主であった。2走行目は
耐久レースレベルでの走りとし、7500までエンジンを回しコンスタントに12秒台をマーク。去年から2秒程タイムを短縮ことが出来た。タイヤもブレーキパッドも 去年9時間使ったままの物である。これは上出来と言えよう。但し、水温と油温が高めなのが
気になる。水温は110から115℃程度にあがる。しかし、最終コーナーを4速のまま通過すると
その間で冷却され 1コーナーの手前で100℃程度に下がるのである。日中の暑さを考えると こんな物かも知れない。他には
何のトラブルも無く、この日は無事にテストを終了したのであった。
8月9日
(悪夢の再現か...)この日も2走行ある。昨日イギリスからスプリングも届いた。と、言う事でスプリング交換...「あれっ!」
フリントの径が数ミリ細く 入らないのだ。「やっぱり...」この件は
ある程度予測できていた事であった。とりあえず、TRDの20`をフロントに、リアにはイギリスから来た25`を組み、テストを行う。1走行目、リアのグリップ感が少なくなり、3回ほどハーフスピンをしたのであるが、全体的にはまだ柔らかい。今までと比べ
余り差は感じられない。その他は順調である。そして魔の2走行目である。2ヘアの入り口で突然「ブッ!」と音がして急にハンドルが重くなった。「アッ、パワステのベルトが切れたな...」ここでピットインすれば良かったのであるが
「もう1周回ってみよう...」。すると見る間に 水温と油温が上がって来たのである。当然、ヨロヨロとピットイン。オフィシャルが走ってきた。「ガソリンが洩れている!」実は
ガソリンでは無く、オーバーヒートによるオイルの吹き出しなのであったが...急いでボンネットを開けるとオイルが飛び散っている。それと....それと....何か変だ。エンジンルームの景色が違うのであった。「アッ!プーリーが無い....」クランクシャフトのプーリーが無くなっているのだ。「エッ、ウッソー」M3をベンツで牽引し、スゴスゴとサーキットを後にしたのであった。
幸いな事に、スペアエンジンのプーリーが有る。早速それをはずして...ここで輿水さんが
突然 「なにッ、これ!」そうだ、36_のソケットが要るのだ。「こんなサイズ持ってませんヨ」。困った時の[メッカ]さん! 早速36_を買いに行ったのだ。クランクシャフトとプーリーの噛み合わせのキーも無くなっている。それもスペアエンジンから外して...「あれっ、外れない!」と中塚。「どれどれ...」と輿水さん。この日は 夜の10時頃に修復を完了したのであった。 「よかった、よかった」
8月10日
(またしても...)今日は4走行ある。安斎さんも来るはずである。
最初の走行。まだ安斎さんが来ていないので中塚が乗る。走りながらチェック。「OK」問題無し。タイムは相変わらず12秒台しか出せない。
マシンはこれでOK...と思った矢先、突然インジケーターが全て点灯し
水温と油温ともに上昇して来たのである。すぐさまピットイン。そのままパドックに車をだした。大友さんは無線で「OKですヨ」と言っているが、手でバツマークを送り 急いでボンネットを開けると...しまった!昨日の内にチェックしておけば良かった...今度はファンのボルトとファン用のプーリーのボルトが全員出かけていて、留守にしているのだった。一本も無い! 再びスゴスゴとサーキットを後にしたのであった。今回のトラブルはボルト止めだけであるためスペアパーツは必要無い。しかし作業性は極めて悪い。おまけに今度は42_のスパナが必要でる。それもメッカで調達できた。
KMSのガレージに戻りラジエターを外していると、そこに安斎さんと宮本さんが来た。「中塚さん
すごい メカニックやってる!」と安斎さん。「こんなの誰でも出来ますヨ」。結局、輿水さんと宮本さんでその後の作業を進める事となった。するうちに...いきなり暗雲が空を覆い、雷がゴロゴロ...ドッカーン。急に滝のような雨が降りはじめ、ほぼ同時に停電してしまった。ガレージのシャッターを閉める時間も無く。今度はガレージから水の掃き出し作業が我々の仕事となったのである。
いきなり安斎さんが「ベンツに傷が付く!」。みると、大粒のヒョウが降ってきていた。おかげで、この日の後半の走行はキャンセルとなり、払い戻しを受けることができた。「ラッキー!」。しかし安斎さんは
この日乗ることが出来ずに帰ることとなる。やがて熱海から秋山さんも到着し、カムの交換を行う。(実はノーマルと同じだった)結局この日も夜の10時頃作業終了となる。しかし輿水さんは明日走らせるEP−82を仕上げるべく、再び車の製作にかかったのである。
8月11日
(今度こそは...アレッ!)今日が最後の日である。スプリングをフロント25`リア27`に交換して、まず輿水さんがコースに出る。見た目でも大分乗り易そうだ。軽快にコーナーをクリアーして行く。次の走行は中塚が乗る。しかし
どうも調子が出ない。このスプリングに体が慣れていないのか、タイムも全然出せないで走っているのであった。最初の予定では2走行だけ走り
車を温存させる方針であったが、中塚がもう1回乗る事とした。最後の走行で タイムが12秒台に入って来たため OKとし、途中で止める。この日 安斎さんは来ていないため、安斎さんの練習はレース当日の公開練習だけである。夜
ガレージで最終チェック。オイルを交換しスパナチェックをしていると......またしても輿水さんが「あれっ!!」。パワステポンプのブラケットが割れているのだ。考えた結果、パワステ無しで行こうと言う事になり、ベルトを切ったのであるが、中塚だけが「どう考えても辛い!」と思ったのである。そこでゴソゴソとスペアパーツの中からブラケットを探し出し、「いいもの見っけっ!」。そのおかげでブラケットの交換作業が始まり、結局夜の11時くらいに終了したのであった。(輿水さんゴメン)。一瞬、93年の悪夢(予選リタイア)が頭をよぎったのは中塚だけでは無かったのであろう。レースは明日なのに、前日のこんな時間まで作業をしているなんて...
しかし話は前後するが、10日の雨の後。ファミリー走行で鎌田さんの彼女がシビックを転がして
一台ポンコツにしているのである。その時中塚は思ったのだ。彼には悪いが、「鎌田さん、ありがとう」悪い運を彼が全て持っていってくれたような気がしたのだ。そして[レース当日]
by 大友受け付けは午後2時過ぎであるが、心配性の安斎さん曰、「やること一杯あるんだから10時集合!」...と言うことで、結局いつものレースと変わらない集合時間になってしまった。まあ、例年通りのお盆渋滞真っ只中なので
早めに出ることに越した事はないが...天気は快晴。今日も暑くなりそうだ。これから夜通しナイターレースが始まるかと思うと、ブルブルッと武者ぶるい.....(私がなってどうする...)
ガレージに着くと
既に安斎さんと輿水さんは到着している。早いネーさすが。「やること一杯」ある事を期待している安斎さんのために
ちゃんと仕事は残しておいた。両サイドのプーマのカッテイングシートをもっと大きいのに貼り換えたり、ドライバーを冷やすためのエアーダクトの固定とか、ブレーキオイル交換とか、タイヤのリム組み替えとか、安斎さん用のドリンクボトルの固定とか一杯あるよん。輿水さんは
相変わらず 事務所のイスに座って のーんびり。中塚は
ドライバー交代のタイミングを考えて 頭をひねっている。予定では1時間ずつ乗って交代するはずだったのが、どうやら80分くらい乗ることに変えたらしい。いかに輿水さんにラストドライバーの順番をまわそうか 悩んでいるみたい。
即席OTXメカニックのメンバーは、安斎さん曰「N1耐久経験組」らしく
これは安心してまかせられそうな感じ。安斎さんは人を見る目がありそうなので、大丈夫でしょう。
とりあえず、M3のブレーキパッドの交換練習をして、オイルも換えて、さて
あとは...そう。後に残ったのは ドリンクボトルの固定! あってもなくても どうでもいいようなものだが(実際、安斎さん以外の2人のドライバーは いらないって言ってるし)しかし安斎さんにとっては、このペットボトル 命の水にも等しいものなんでしょうネー。もう大騒ぎ。備え付けのストローじゃ全然届かないので、北島さんに「金魚屋」さんまで、一走りしてもらい、長ーい空気管を調達してもらった。どうだ、これで文句ないでしょ!
さてさて、今回はメデイカルチーフ(?)として、本業
薬屋、今回は技術のオフィシャルの山田さんにスタミナドリンク+ビタミン剤を提供してもらった。強力ビタミン剤とやけに高そうなはちみつを液体に溶かすと、ドライバー用スペシャルドリンクが出来上がるらしい。まず、テストで
午後茶で一飲み。「☆#◎△!」これは輿水さん。彼はどうしても口に合わず、この後レース中一回飲んだだけに終わった。次に味付けがまずかったらしいのでポカリに変えた。「うん、これならいける!」これは中塚さん。味はどうでも、とにかく薬に頼らなければ もたなそうな安斎さんは、一切文句は無し。よしよし、これは安斎さんの連れて来た彼女に作ってもーらおっと。(突然失礼します。安斎さん 彼女の電話番号おしえてヨ....by Nakatsuka と言う事で)
先に大きな荷物をピットに置きにいく。おー、サーキットはすでに東プロの日曜並みに人がいるぞ!グランドスタンドも1/3は埋まっている。なんだかドキドキして来てしまった。
先に安斎さんが「もううちのピットにテントが張ってあったぞー」と嬉しそうに言っていたのだが、どうもへん。うちのピットは31番。テントは30番に張ってある。ピットを聞き間違えたのか、テントが間違っているのか、事務局に聞きに行った。「こんにちわー、今日はよろしくお願いしまーす。ところでうちのテントなんですが...?」ニコニコ挨拶してくれた事務局の人の「ニコ」が一瞬ひるむ。「テ、テント...?」「はい。昨日
安斎さんがお願いしたやつ」 「...忘れてた」と、言うことで、もう帰ってしまったテント屋さんを呼び戻してもらい 無事にOTXのテントは出来上がった。(これは 安斎さんにはナイショである しーッ)
さてさて、受け付けも終わり
そろそろ 一同サーキットに向かうこととする。ここで一体なにを考えだしたのか突然、安斎さんが「これ!これ着て!」と今回のメインスポンサーのPUMAウエアを配りだした。おいおい、なにも今ここで配ることないでしょー。くつのひもも通してないおニューのウエア。ただでさえ詰め込む荷物が多くてバタバタしているところへもってこの騒ぎ。時間に余裕を持って早めに集合したっていうのに、この事件でチームは一気にどたばたチームへと変身してしまった。サーキットに着いてもこのどたばたをひっぱったままドライバーはメデイカルチェックに走る、走る。(血圧大丈夫だったのかしらんねー?)この間、どたばたウエアを着込んだピットクルーはいきなり「おそろいのウエアを着た、ちょっとプロっぽい」チームに変身していたのである。おお、かっこいい。
練習走行に向けて、車の点検と電話のチェック。通信用の電話は「ないと困る」必需品なのだが、どうにもこれがノイズだらけでうまく聞こえない。あれま、こりゃ大変だ。
本番までになんとかなるといいけどなあ。
そうこうしているうちに4時になった。いよいよ練習走行開始。安斎さんが初めてM3を走らせるのだ。乗る前から本人そわそわ、うろうろ、どうにもこうにも落ち着かなそう。輿水さんはとっとと1ヘアでの見学観戦体制。中塚さんも、のんびり安斎走りを見物したさそうな気配であるが、ここでもしなにかあったら(過去の経験上、絶対なんかありそうな雰囲気だったんだもん)誰もわからないので、中塚さんはピットで待機してもらう。車がコースイン。おお、けっこう吹かして元気がいいね。頃合を見計らって電話をかける。呼び出し音に続いていきなり叫び声「な☆★!!な★☆お★がするぞ!!」
ノイズと本人のあまりの力の入った叫び声で一体なにを訴えているのか意味不明。(実は飛び出した途端に、ダッシュボードカバーが外れて床におっこちたらしく「なんだー!!なんかゴトゴト音がするぞー!!」と叫んでいたそうな)
果敢にコーナーを攻めているようなのだが、初めての左ハンドル、久しぶりのFR、おまけに大重量車。思うようにタイムは上がってこない。16秒から14秒で周回を重ねる。エンジンの吹けが悪いという訴えを聞いて、これはROMを変えたのが原因かもしれないので、途中でオーナーの中塚に交代。車を降りた安斎さんはちょっとぶすっとしていた。中塚さんは、オーナーの強みでそこそこのタイム。12秒から11秒。安斎さんは中塚さんのタイムを聞いてまたちょっと、ぶすっ。結局、ROMはもとのに変えることにしたが、この練習でタイヤとブレーキパッドがだめになり予選はおニュータイヤとおニューパッドでアタックすることになってしまった。輿水さん曰、「いやー、安斎さん気合入ってましたねー。前を走ってる車にどけどけどけーって感じでインに入っていってましたからね。」
実は安斎さん、この時低速コーナーを3速で回っていたんだって!「ウッヒョー」
予選は最初の予定通り、中塚、輿水でいくことになった。
お次は車検である。ドライバー3人、すぐそばの車検場にトコトコトコ
...(近くて便利)「あ、免許証忘れた!」これは輿水さん、「あ、靴忘れた!」これは中塚さん。「おいおいおい」これは安斎さん。普段は技術委員長である安斎さんにとって、車検場は家である。技術委員も当然家族みたいなもん。それが今回はエントラント姿と言うのが、どうにも見ていておかしいのだ。やけにずーずーしい(オイオイ)オフィシャルにいばっている。(当たり前か...)ちゃんと写真は撮ったよん。
技術のオフィシャルの熱いコールを受けながら無事に車検終了。
さあ、いよいよ予選である。皆念入りに車のチェック。特にタイアとブレーキパッドは練習走行でおしゃかになったので、オニュー状態で予選にアタックなのでちょっと不安。
ちなみに、ブレーキパッドは耐久用の利きの悪いやつだった。そんな中、突然安斎さんが叫ぶ。「ドラミ!もう時間過ぎている!」あちゃー。仮にも普段オフィシャルをやっている人間が遅刻するとはこれいかに...おそらく主催者側も「こいつら何かやらかしそう...」と不安になった事でしょう。罰金はとられなかったけど、今度はしっかり時間を守りましょうネ。
なにはともあれ、予選開始。第一ドライバーの中塚がでる。回る、回る、1周、2周、あれー?もう入ってきた。どうしたの?「ん?とりあえず、この辺のタイムしか出ないからもう止める。車ももったいないしネ」一応11秒台で下から数えて5番目くらい。まあ、あとは輿水さんにおまかせしましょう。
その輿水さん、別名
予選大好き男である。(タイムアタックで最終コーナーを回ってくると頭がキーンとして真っ白になるそうです。スゴーッ)はてさて、一体どんなタイムを出してくれるやら。ピットクルー全員モニターにかじりつく。ちなみにメッカのフォードエスコートは6−7秒という好タイムである。なにがM3と同じくらいしかタイムがでないんだよ。うそつきメッカ。(メッカの社長がそう言っていたのです)我らがM3は9秒93、とうとう10秒を切るという技を出した。輿水さん、さすがだねー。でも結果は17番てスタート。まあ、第一ドライバーが中塚さんなので、後ろの方がスタートしやすいでしょう。
後は、9時のスタートに向けて待つばかりである。今年は切羽詰まった練習の時にトラブル異常発生だったので、ここまで来られたら一安心である。モナークに頼んだお弁当がなかなか来なくて、空腹状態のピット内。そんな中再び誰かが叫ぶ。「ドラミ!もう時間過ぎている!」...もう涙。あわてて走って行く3人の後ろ姿に向かって、思わず合掌。御免なさい。ACC.Sの皆様、許してネ。
そうこうしている内に花火大会が始まった。これこれ、これがなくっちゃ9耐じゃない。お弁当片手に夏の夜空の花火よ見上げていると、これから9時間の長丁場が始まるなんてウソのような楽しさがこみあげてくる。これがM3と共に過ごす夏の夜のお祭りなんだなー。
8時を過ぎた。いよいよ車がコースに入る。お客さんもどっとコース上になだれ込む。何故か安斎さんが「ドライバー紹介!ドライバー紹介!レーシングスーツ着なくちゃ」とあわてふためいている。ドライバー紹介なんて去年なかったヨ。なに言ってんの?と、のほほーんと車と一緒の写真をパチパチ撮ってると、本当にドライバー紹介が始まった。ちゃーんとお立ち台に3人そろって上がって、アナウンサーのインタビュー付きである。おお、なんだかかっこいいぞ。M3はM3でカッテイングシートでステッカーチューンを施してあるため、見た目はモロヨーロッパ仕様。けっこうお客さんに写真を撮ってもらって嬉しそう(?)である。
「あれー困るなー。あんな目立つ所にうちのステッカー貼っちゃー」これは今日の大会審査委員のSCCNの会長、安藤さん。なにをかくそう、ドライバーの安斎さんを始めマネージャーの私
大友、タイム記録係の北島さん、そして 飛び入りメカニックの山住さんと、SCCNの面々がズラリとそろったこのチーム。Nの会長としてみれば何をしでかすか、気になってしょうがないらしい。こっそり様子を見に降りてきたら、M3のオーバーフェンダーの上にSCCNのステッカーがでーんとでっかく貼ってあったという訳である。「いやー、これはそのー、俺はリアバンパー辺りにチョロット貼ろうとしたら、オーナーの中塚さんが、ここだって言って貼っちゃたんですよ」ちょっと言い訳がましい安斎さんであった。
コース上のわいわいがやがやも宴たけなわ。総勢21台の今年の9耐。果たして何台が無事にチェッカーを受けられるのか。その中に、M3も入って欲しい。絶対に.....
「ピーッ!」スタート3分前の笛が鳴る。いよいよ始まりだ。コース上にはスタートドライバーのみ。ピットに全員戻った頃、車のエンジンがかかる。ブルンブルン、フォンフォン、フォーメーションラップが始まった。言わずと知れたローリングスタート。
電話で、とにかく激励する。「頑張ってネー」「あいよ」アナウンサーが叫ぶ。「さあ、先頭の車が最終コーナーを立ち上がってきました。いよいよスタートです。青になりましたー!」
フォン、フォン、フォン!!す、すっごーい。どの車もものすごい勢いで1コーナーに突っ込んで行く。(毎年のことではあるが
...)電話で運転中の中塚さんに叫ぶ。「中塚さーん、大丈夫ですかー?」「え?もうスタートしたの?」(^^;)オイオイ。「スタートしたって言ってヨー」ソンナコト言ったって...
他の車はすごいスピードである。まるでスプリントそのもの。我が第一ドライバー中塚さんは?と言うとスタートでタイミングを外したのかリズムに乗れないまま、どんじりまで落ちてしまった。タイムも15−16秒と上がらない。電話で話していても、どうも歯切れの悪い返事しか返って来ない。さては、気力が尽きてしまったのか??
ピットでもうすうすそれが感じ取れたらしい。第2ドラーバーの輿水さんが、早くもドラーバー交代の用意をし始めた。
[ここで中塚の言い訳...]去年はローリングスタートの時グリーンシグナルを言ってくれたじゃん。それと、今回スタートの時エンジンのかからない車がいたからその車のピットへの移動が遅れていて、もう1周ローリングするのかなーと思い最終コーナーの手前でスタートの用意をしなかった。それと電話の聞こえが悪くって(実はフェイスマスクのせい)同じ事を何回も叫んでいると、集中出来なくって...
タイムも上がらない訳....でも本当のところは最初の頃、気力が尽きてしまい30分程度しか乗れないかな?って思った訳です。その原因は電話のせいもあるのですが、最近あまり生肉を食べていない事が大きな要因と言えましょう。私は昔から生肉とビールが活力源だったのです。スタート直後の重要な時期に私がタイムロスをしなければ、クラス3位になっていた事は間違い有りません。と言う事で、来年は肉食人種に戻り、きっちりレースをしたいと思います。以上、言い訳終わり。----------------この後は中塚が書きます。
実際スタートしてからの30分迄は、気力が無かった。電話は通じずらいしコースの暗さに目が慣れないし..しかしそのうち電話で励まされながら、何とかタイムも上がり12−3秒で周回を重ねられるようになって来た。1時間経過時点でトップには3ラップされている。一時は最後尾に落ちたものの、他の車のトラブルに助けられドライバー交代の時期(予定通り80分)には15番手まで順位を戻していた。走りながらガソリンの残量をチェック「ピットイン時点で25リッター位だから、えーと、んーと給油は35リッター」早速ピットに連絡する。「ガソリン35リッター用意して!」「ガソリンがどうしたって?」「もしもーし、ガソリン35!」「えーっ、なにー?」と言うようなやりとりをしながら何とか、意図はピットに通じ予定通りにピットイン。次の輿水さんにバトンタッチを行う。無事に給油を済ませピットアウト
...ん?どうしたの?「スタートOK?」と輿水さん。そうだ、誰も合図を出していなかったのだ。すかさず「輿水さんOKです!」これで、輿水さんは勢い良く飛び出して行くのであった。
数分経過、すぐ近くのピットで「ボッン!」見ると車が火だるまになっている。うちのピットクルーが「消化器!」と叫んで飛び出していった。結局この事故で1時間10分赤旗中断となる。プレリュードが燃え、ピットクルーが足に火傷をおってしまった。
再びローリングスタートである。当然さっきまでの順位でM3は14番手スタートだ。順調にスタートし、輿水さんは11−12秒台にペースを上げて来た。
いきなりピットが騒然となった。「何かトラブルか?」輿水さんから連絡がはいった。「ガソリンが1/4しか入っていないー」早速ピットから「やばかったら、ピットインして下さい!」と連絡をとるが...中塚だけが首をひねっている。「さっき計算してガス補給したのに..60リッターはあるはず。そんな?」実は、輿水さんがメーターを逆に読み違えていたのであった。逆から見ると確かに1/4と見えるのは理解出来る。
チーフメカの小川さんが暗い顔で来た。「どうもミッションオイルが洩れているらしい」ドライバーの交代時間を変え1時間ずつとし、その都度オイルの補給を行う方が安全であるとの意見に従い、ドラーバーの輿水さんに連絡をとる。「1時間で交代にしまーす」その後順調に周回を重ね12時半の時点で9位まで順位を上げて来た。フロントタイヤが熱でダレテ来たようだ。チーフメカの小川さんがフロントのみタイヤ交換を決める。
12時34分輿水さんがピットインして来た。安斎さんはと言えば例のドリンクボトルとスポンジを持って待機している。「そう言えばニーパッドが要るっていってたっけ」見ているとなかなかドリンクボトルがセット出来ないようである。それも無事に済み、さっそうとスタートした。
...ん?「ボボボ、ボッ、ボッ」1コーナーに入っていくエンジン音が変だ。全員血の気が引いていく。さっそく電話で「安斎さん、どうしたのですか?」「...エ、エンジンが吹けない!」
「ガソリンが来ていないみたいだ」と安斎さん。「帰ってこれますかー?」 「あーッ!止まってしまったー!」ピットは騒然となる。「ば、ばしょは?」「えーと、ダンロップの先。5番ポストの前辺り....」早速、山住さんが「氷!」と叫んで「カバ子」に飛び乗る。(このカバコと言うのは、SCCNのワンボックスの車である)。輿水さんが電話で「エンジンを切って冷やして」と指示を出す。しかしエンジンを切ると電話が通じなくなってしまいのだ。もう全員、あっちこっち走りまわり、しかしどうにもならず、祈るように連絡を待つのであった。やがて電話が通じた。「もしもし、どうですか?」「だめだッ!」再び連絡がとだえる。輿水さんは「ハロン消化器で冷やしてくれていればいいが..」と心配顔。やがて再び電話が掛かった。しかし、呼び出しているが応答が無い。「一体、どうしたんだろう」すると誰かが叫ぶ「来たッ!ピットイン!」この瞬間の感激を言い表す事は出来ない。ブルーのM3がピットレーンを走ってきたのである。「良かったー!」。この30分のなんと長かったことか。チェックに4分ほど要し、安斎さんがコースに飛び出して行く。
ここで、補足説明。山住さんが氷を安斎さんにコースの外から投げ入れたのであった。これは反則行為であり、(コース上にて車載工具以外の物での作業は禁止されている)それを、「レースを主催する側の人間が破るとは何事ぞ!」と、言う事でチーム責任者がコントロールタワーに呼ばれる羽目となった。やがて大友さんが来て「もしかしたら、失格になるかも知れない...ゴメンネ」と、しょげている。「皆、一生懸命やってるんだよ。あの時の瞬間の判断は仕方ないんじゃないの?」と慰める。実際、仕方ないと思う。車を動かしたい一心でやった事であるし、あのままリタイヤするよりもなんとか車を動かして復帰したい。その結果、仮に失格になっても仕方ない。結局その氷では駄目で、ハロンを使って冷やして復帰したのであった。安斎さん「突き指」はどうですか?
この間に順位は16位まで落ちてしまった。安斎さんは14−15秒で順調にラップを重ねていく。やがて14位まで順位を上げて来た。初めて乗る車なのに良くやっている。
そして2時5分にピットイン。中塚にチェンジ。さっそくコースに飛び出す。エンジンの回転が少し重い。6000で一度引っ掛かるような感じだ。それも数周で解消した。
最終コーナーに車が一台、半分顔を出して止まっている。「な、なんだ!」ドライバーがコースを横切って内側に走っていった。その車がアウト側にいるため気になって最終コーナーでスピードが全然乗せられない。電話で「おそいよー!」と大友さんが言う。そう、15秒台で走っているのだった。「えーん、自分でもおそいよー..」と中塚が。「えー、ブレーキのエア抜きをしてほしい...」するとピットから「耐久なんだからそんなの我慢して...」といわれる。その時、丁度運良く「ペースカーが出る!」と、連絡が入る。「じゃあ、ピットに入るヨ!」と言う事で、さっそくピットインを決め込んだ。結局6分ほど費やして、ブレーキのエア抜きとタイヤ交換を済ませる。
「何か、リアがすべるなー」実は、リアがニュータイヤになっていたのだった。さっきまで14位だったのが16位まで落ちた。2ラップ後には13位に戻りその後は硬直状態が続く。おかげでラップも12−13秒台に戻った。「えーい、くそ。このインプレッサ邪魔だ」そう、コーナーではとんでもなく遅いインプレッサなのだが、直線ではターボのパワーでどうしても抜けない。今回は気力も残っており、予定では1時間であるがまだ乗れる。そこでピットの大友さんに「まだ行けるから延長して80分いくよ」と告げたのである。一応返事は「OK」。よしッ!と思いペースを上げた(つもり)。
この頃になると他の車もペースが落ちて来ているのだ。
..フッとガソリンメーターを見ると「あれ!」ガスがそれだけ残っていないのである。後15リッター程度である。ピットに連絡する。「あと15リッターしかガソリンが無い。2時45分位にピットインさせて!」と、ピットの大友さんから連絡が来た。「まだはいらないでー!」「うん、そりゃまだ大丈夫だけどガソリンが無くなるからネ」。そのうちガソリンの残量が5リッター程になった。「もう駄目!ピットに入れて!」と悲痛な訴えをする。しかしピットからの返事は、「出来るだけ、走って!せめてあと5分!」である。「何で?こっちもヤバイよ。もしかして、そっちでガソリン買ってなかったの?」「もう少し走って...」と押し問答を繰り返していたのであった。「あと2リッターしかないよ。まだ駄目なの?」実際はメーターの誤差の関係で、5リッター以上残っていることを知っていながら中塚は言う。「あと2周して!」「本当こいつら何やってんだ」と思いながら、「はいはい、仰せの通り走りますけどネ」と開き直ったドライバーなのであった。
結局3時1分に13位のままピットイン。輿水さんにバトンタッチした。車を降りてからやっと分かった。何故3時過ぎまで走らせたか。それは後3時間を2ドライバーで走りきる作戦に変更になっていたのである。「早く言ってヨー、ほんとにモー!」1人のドライバーの運転時間は最長1時間30分までと決まっているのである。
これから輿水さんの爆走が始まる。10−11秒でラップを重ねる。順位は13位と変らないが、前の車との差を確実に詰めてきた。ついに同一ラップに持ち込んだ。ピット全員モニターにかじりつく。(現在クラス4位で前の車を抜くとクラス3位になるのだ)ついに、輿水さんが10秒を切った。ピット内が一瞬ざわめく。「オーッ!」
やがて時間が迫り、4時30分輿水さんがピットイン。
さあ、ラストドライバーの安斎さんだ。13位のままピットアウト。最初のうち14−15秒でラップを重ねる。クラス3位のインプレッサとの間が詰まって来た。ピットから「その車、どうせピットインするから無理して抜かなくてもいいよ」「いやだ、抜く!」と、安斎さん。12位まで順位を上げた。クラス3位だ。お立ち台だ!予想通りにそのインプレッサがピットイン。「...ン??」ガソリン補給無しで飛び出して行った。これは予想外である。安斎さんのラップは13秒台に上がっているがマージンは40秒程である。インプレッサの方が2秒程速いタイムで走っている。見る間に差が詰まって来る。「安斎さん、後ろからインプレッサがいくヨ!」「がんばって!」と言っているうちに「このインプレッサ速いヨー!」と安斎さん。「アッ!抜かれた。チキショウー!」とドライバーが叫ぶ。
その後11秒台にタイムを上げるが届かずそのままゴール!無事にチェッカーを受ける。コース上に止めたM3に皆走っていく。「ああ、よくもってくれたなー」M3の室内にはオイルが飛び散っていたのだ。安斎さんはドリンクボトルを使用したかどうか定かでないが、まだまだ元気そうだ。握手をかわす全員、朝日のなかで輝いていた。
結局、総合11位。クラス4位と言う成績である。「おー、賞金10万円」と思ったのであるが、実は参加台数の関係で、4位はトロフィーだけだったのである。その時は「トロフィーより賞金がいい」と思ったのであるが、今になると今回のトロフィーが一番嬉しく思える。あの時こうしていれば、ああなっていれば、と色々な反省ばかりであるが、一応、戦闘力のないM3で攻めにいって勝ち取ったクラス4位。やはり、嬉しい。
今回ご協力を頂いた皆様方、心から感謝致します。本当にありがとうございました。
今年はものすごく運が良かったと思います。赤旗中断とかペースカーが入ったとかで、M3の負担が少なかった事が「完走」に結びついたと、言えるでしょう。来年に向けてやらなくてはならない事は一杯あります。エンジン、トランスミッション、デフのオーバーホール。フロントハブ交換。ブレーキデイスクはOKとして、ショックのオーバーホールとついでにショート加工もした方がいいかも。あと軽量化(どうやって?)とか忘れていけないのが、パーコレーション対策。排気系に断熱処理をやらなくては。あともっとパワーも欲しいし。そして、生肉とビールと練習と!..一生懸命仕事をしよう。
来年もお金をため、絶対参加したいと思っています。当然、お立ち台をねらって!
16-Aug-95
中塚敏久
(注)SCCNは Sports Car Club of Nissan の略
KMSは Koshimizu Motor Sports の略
メンバー紹介
(ドライバーの平均年齢は 41才ちょい)チーム監督
大友菜穂子 SCCN常任理事ドライバー
中塚 敏久 (M3のオーナー)輿水 好則 KMS代表
安斎 友望 SCCN副会長
ピットクルー
小川 基幸四津 友久
大島 秀友
安藤 大輔
菊池 淳司
渡部 正
宮本 孝義
山住 優治 SCCN事務局
北島 美昭 SCCN常任理事
杉浦 真也 (名古屋から来た)
その他
KMSの人達 (輿水さんの子分)